2015年7月20日月曜日

ルールの飽和状態

サッカーの「オフサイド」というルールはご存知でしょうか?
サッカーをやったことがある、またはかなりのサッカー好きならこのルールについて理解ができるかと思いますが、
それ以外の方で「オフサイドとはこういうルールだ」と正確に説明するのは難しいのではないでしょうか?

世の中には、改正に改正を重ねたルールが「そもそもどんな目的でそのルールを作ったんだっけ?」というものが多々存在します。
サッカーの「オフサイド」というルールを最初に作った目的は、敵チームのゴール前に味方がずっと待っててそこにボールをポーンと蹴って、簡単にゴールを入れてしまうのはずるいし、スポーツとしても面白くないよね、ということで作ったのだと思います。
それが改正を重ねるうちに、例えば「出たボールに関与していない選手は、オフサイドのポジションにいてもオフサイドにはならない」というルールをオフサイドルールに加えました。
ルールのためのルールを作ることで、そのルールが複雑になり、専門外の人には分かりにくくなっていくことのいい見本かと思います。

一方で、世の中にはルール違反をしても罰せられなければ、その中で何をしてもいいんだという考え方や雰囲気も蔓延しているような感じがします。
再びサッカーに例えると、サッカーには手を使ってはいけないというルールがあります。サッカーを一回も見たことがないという方以外は当然のルールだろうと思います。
しかし、手を使ってゴールをしても、審判に見つからなければルール違反にならない、といういう考えで、実際にそういう選手が手を使ってゴールを決めて喜んでいたらどう思うでしょうか?

それって確かにルール違反ではないけど、それをやったらサッカーというスポーツとして面白くないよね、と思う方が多いのではないでしょうか。
まあ、個人的にはそんな常識外のことをすることは面白いと思ってしまう方なんですが、
でもやはりみんながそんなことをしていたらサッカーというスポーツ自体が成り立たなくなってしまうと考えます。

さて、日本に限らず多くの国家というものは、法治国家であり、国家もその国に住む国民も同じ法の下に法を守って日々生活をしています。
憲法以下さまざまな法律は、最初に作られた時には何か目的を持って作られたのでしょう。
多くの法は「社会が良くなるように、うまく回るように」だったり、「犯罪を取り締まるため」、だったり、「誰かが一方的に不自由や不利益をこうむらないように」などのために作られたのではないでしょうか。

それが法治国家という概念ができて以来、法律をどんどん作り、どんどん改正することで「法が網の目のように」なってがんじがらめになってきてしまったのではないでしょうか。

ルールのためのルールを作り、法律に違反さえしなければその中でどんなお金儲けをしても許される社会、お金儲けをするためなら合法的な手続きで都合良く法律を変えていく社会…
ルールの飽和状態になった社会では、もはや何のためのルールなのかわかならくなり、モラルや道徳心として例えルールの中に納まっていても、それをやったらだめでしょうということを平気でやり出しているように感じます。

今後ますますルールが飽和状態になってきた社会では、何が起こるのでしょうか?
自然界においては飽和状態になれば爆発し、収縮に向かうのが常ですが…
70年前もそんなことが起こりました。


今回の安保法制関連のことも「オフサイド」なみに複雑になり、専門家やよっぽど勉強している人以外は中身について完全に理解するのは難しいのではないかと思います。
それでも世論調査など各種調査において、おおむね2/3以上の人たちがこの法案に反対しているのを見ると、
法案の中身がどうという細かい話より、「手続き上は確かに合法かもしれないけど、そんなやり方が許されるのか?」というモラルだったりルールを守るという道徳心(?)みたいなところから不安を持つのだと私は考えています。

私たち庶民はルールを守って生活するのが当たり前だと思っていたら、ルールを作る人たちが合法的かもしれないけど、解釈でもってルールを変更したら普通に考えたらおかしな話だと思います。
「万引きは犯罪である」または「万引きはしてはいけないでしょう、当然」というモラルから、
「万引きをしても捕まらなかったら許される」あるいは「万引きして捕まっても、裁判で無罪を勝ち取れば問題ない」というモラルになっても世間が許してくれるという社会になってしまうようでなりません。
そして、現にそうなりつつあるのではないでしょうか。
なにせ、国のルールを作る人たちが率先して後者のモラルになってしまっているのだから。

安保法制から今話題の新国立競技場まで、現代の日本社会(多くの先進国も)の問題の根幹が目に見える形で噴き出してきているのだと思います。
木や野菜でも、地中の根っこが腐ると地上の枝葉も影響を受けて腐ってくるのと同じように。
逆に、根がしっかりしていれば、枝や葉の一部が悪くなっても生き延びることはできるのですよね。

私たち庶民はその腐った根っこの部分の修復からやっていかないといけないのではないでしょうか?
上澄みだけすくって取り替えてもまた同じ問題が起こるし、飽和して爆発して、収縮しておしまいということになりかねませんよねえ…

2015年7月14日火曜日

お店を始めます

前回の投稿から間が空きましたが、
すっかり季節は夏ですね。

この間、紅茶作りから畑仕事と新しいお店の準備などなど盛り沢山にやることが重なりこのブログの更新も滞ってしまいました。

さて、久々の更新で宣伝をするのも申し訳ないですが、倉敷市で新しくお店を開くこととなりました。
お店の名前は『うり坊舎』と言います。
水曜日と日曜日のみの営業です。

本がたくさん置いてあるので、本を読みに来るだけでもけっこうです。

うちで焙煎したコーヒー豆や焼き菓子、自然農で育てた野菜などを販売する予定です。

うり坊舎の内容については、お店のブログを作りましたので、そちらをご覧いただければと思います。

うり坊舎のブログuribousha.exblog.jp